2015年4月27日月曜日

『闘戦経』に見出す日本人の「戦い」の精神

「今」を犠牲にしてまでも大切なものを守り抜く、という伝統精神を考える。

孫子の兵法と対極の位置にある「闘戦経」

「闘戦経」(とうせんきょう)とは、今から約900年前の平安時代に大江匡房(おおえまさふさ)卿によって記された日本最古の兵法書だという。
 日本の武人の「バイブル」(そぐわない言葉だが)は「武士道」だというイメージがある。だが、これは江戸の太平の世、つまり戦のない時代に、戦を職業とする武士たちに向けて気高い精神を維持する必要性を説くために、「闘戦経」をベースに作られたものだと家村氏は言う。
 戦争について学ぶ場合、多くは孫子の「兵法」やクラウゼヴィッツの「戦争論」などをひもとくことだろう。しかし、家村氏は「戦争論」については、「人間の内心的な部分などについては言い尽くせぬところも多々ある」とし、戦争の単純な理論化が結果的に2度の世界大戦につながった可能性を示唆している。
 そして孫子については、権謀術数を奨励して偽り騙す思想であるとして、日本古来の「闘戦経」とは対極にあると位置づけている。

ちなみに、孫子についてはこの「戦わずして勝つ」点を取り上げて、平和追求の理念を現しているという評価もある。軍事力の行使は最後の最後の手段であるべしと主張しているから、儒教的理想主義であるという指摘だ。
 だが、いずれにしても、西欧のものも大陸のものも、確かに日本人にはなかなか馴染まない教えが散見される。
 例えば孫子は「君命に受けざるところあり」と言い、たとえ君命でもそれによって敗れることが確実ならば従う必要がないとしている。
 しかし、日本では命令に背くというのは抵抗感がある。むしろ忠義を重んじたことから、敗れると分かっていても命令に従い、従容として死に就いた事例は歴史上の様々な戦に見受けられる。例えば悪しきシビリアンコントロールの実害と言われる「湊川の戦い」における楠正成などは象徴的だ(楠正成は、敗れることが明白であるにもかかわらず、天皇への忠義を果たすために足利軍と戦った)。

それこれ考えると、「今」を犠牲にしてまでも大切なものを守り抜こうという精神、権謀術数に頼らず正々堂々と戦いを挑む姿勢など、やはり、この「闘戦経」は日本人ならではの戦いの理念であり、同時に生き方の指南書と言えるのではないだろうか。
 そして、国防について広く国民の理解を得るためには、こうした教養を置き去りにして語ってはならないと、原点に返る必要性も感じる次第だ。
 それには長い時間がかかるが、日本人の潜在意識を信じ、眠れる日本人に本来の精神を取り戻してもらう「目覚まし時計」になり得るような文筆活動をしたいと思う。
さて、家村氏は警告する。「人心が悪くなれば、天地自然も悪くなり災難をもたらす」と。昨年の東日本大震災で、日本人は失われていた心や精神に、我知らず覚醒した。それは、例えば同胞を大事にする気持ち、他者を助ける気持ち、祖国という概念などである。その中には「皇室を敬う心」も含まれるだろう。
 国の真ん中にあるものは何か。それに日本人1人ひとりが気付けば、それは国体を明らかにすることにもなる。「なぜ国を守らねばならないのか」という答えは、このような経験と思考を経て日本人それぞれが自ずと出さねばならないと年頭にあたり感じたところである。

【我が国の国家の形「萬葉一統」の皇室観】
 我が国は「立憲君主国」です。建国以来日本人は、祭祀王としての天皇の権威を仰ぎながら国家を守ってきました。この点については織田信長や豊臣秀吉のようないわゆる武家による「専制体制」を構築したとされる為政者でも同じことなのです。そして天皇は、古代以来男系男子で継承されてきたわけではなく、女系女性も含めた帯のようなつながりで継承されてきたのです。
 我が国は「万世一系」ではありません。吉田松陰先生の『士規七則』にみえる「萬葉一統」こそ我が国皇室のあり方です。だから「女系天皇」「女性天皇」でも皇統が途絶えることにはなりません。

「闘戦経」とは何か?

 私は若い頃から孫子、クラウゼウィッツなどのシナや西欧の兵法、戦争史から戦闘戦史まで古今東西の戦史などを幅広く学んでまいりましたが、ある時期から「日本人には、日本人特有の戦い方があるのではないか?」との疑問を抱くようになりました。
 そして、私が幹部学校の戦術教官であった時、この疑問を見事に解き明かしてくれたのが、今回から皆様にご紹介する兵法書『闘戦経』なのです。
 「義のためには、死をも恐れず戦う」・・・こんな戦い方は必ずしも全ての国や地域、民族に見られるものではありません。ところが、我が国の歴史の中では、いつの時代にも常に、こうした戦い方が見られます。北条時宗、楠木正成、西郷隆盛、乃木希典など、後世に深い感銘を遺した優れた武人たちの思想と行動の根源にも、この『闘戦経』があったと見て間違いないでしょう。
 日本が世界に誇るべき武士道精神のルーツも、実はこの戦う日本人のための兵法書『闘戦経』にあります。

『闘戦経』(鬪戰經 とうせんきょう)は、平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書。現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書である。

当書を著し、代々伝えてきたのは、古代から朝廷の書物を管理してきた大江家であり、鎌倉幕府の時代では源頼朝から実朝の三代にわたって、兵法師範として伝授してきた一族である。

 今から約九百年前、当時の日本における兵法の第一人者であった大江匡房が著した兵法書『闘戦経』は、「孫子」「呉子」など日本とは国情を異にする隋や唐から伝来した兵法を補うため、日本に古来から伝わる『武』の智恵と精神を簡潔にまとめた書物である。この『闘戦経』を貫く基本理念は「文武一元論」である。これは、無秩序から秩序を生み出すためには、文と武は不離一体のものであり、それゆえに国家指導者は軍事・政治の両面に長けていなければならず、あらゆる将兵が智と勇とを融合一体化した存在でなければならないという教えである。又、孫子の兵法が、戦いの基本を「詭」(偽り、騙すこと)として、「奇と正」の策略を奨めたのに対し、『闘戦経』を貫く指導原理は「誠」であり、「真鋭」である。
 純日本の兵書とも云うべき『闘戦経』は、この太陽に象徴される国、祖神の開いた国と祖神の生んだ民が一体となって生成発展してきた日本の「いのち」を継承し、守り、伝えていくため、日本人に戦う知恵と勇気を与えてくれる「魂の書」なのである。
(出典:日本兵法研究会

「闘戦経」の成立について

 当書によれば、「永い歳月を経て、虫や鼠にかわりがわり噛まれ、その伝えを失い、何人の作述か(具体的には)知られておらず、大祖宰(大江)維時卿の作とも、大宰師匡房卿の書なりともされる」とあり、説として、維時か匡房としている。日本兵法研究会会長家村和幸は、時代的に見て匡房の作としている。従って、11世紀末か12世紀初め頃とみられる。その論拠として、一切、当書には、「武士」や「侍」といった語が用いられていない。また、内容から権威主義的であり、戦国期(15世紀末から16世紀)における下剋上といった合理・実力主義的な思考(中国的戦争観)が全く見られないことから、まだ武家が権威に対して従順だった時代の頃(鎌倉期以前)の作とわかる(戦国期では通じない精神的な面、「兵の本分とは」といった理念も見られる)。
 また、『闘戦経』は度重なる戦乱を経て一部のみ伝わったものとされる。
(出典:闘戦経 – Wikipedia

「闘戦経」の構成

 純日本の兵書『闘戦経』は、兵法という形をとりながらも、その内容は、シナ文明や西欧文明の荒波に曝されて混迷を極める現代日本と、そこに生きる我々日本人が求めて止まない「日本とは何か、日本人とは何か」という課題に端的に答えるものである。
 『闘戦経』の内容について、「孫子」「呉子」等の古代シナの兵学を否定するものと誤解される方が多いが、それは誤りである。著者である大江匡房は、これら古代シナの兵学が「方法論」としては簡にして要を得たものであり、戦術・戦法面では優れたものであることを認めた上で、両民族の歴史と文化の違いを考慮して、日本人のために補足すべき教えを簡潔にまとめたのである。つまり、『孫子』と『闘戦経』は、「表裏で学ぶ」ものである。
 現在残っている写本『闘戦経 全一冊』は、52個の「章」と「序」、「跋」(あとがき)で構成されている。「章」とはいっても、一行から数行程度の漢文であり、その内容には、「日本人としての戦い方」に重点を置くものと、「武の道にある者の心得」に重点を置くものがある。
(出典:日本兵法研究会

 (桜H23118http://www.ch-sakura.jp/topix/538.html 2011/11/08 にアップロード)

日本兵法研究会会長の家村和幸氏をお迎えし、新著書『闘戦経-武士道精神の原点を読み¬解く』にて解き明かされた日本最古の兵法書『闘戦経』の真髄とは何なのか、戦いの基本を「詭道」に置く孫子との違いや、各章で述べられている日本人ならではの戦い方、自衛隊でもほとんど顧みられずにいた同書の研究に取り組まれるようになったきっかけなどを お話しいただきながら、日本古来の「清き、明けき、直き心」が息づいているその魅力について お伺いします。

「闘戦経」と「孫子」

 我が国は、人を騙すことは悪いことだとする文化と伝統をもつ。だから人を騙して反則金を取る覆面パトカーは不可なのだ。
 つまり、冒頭に述べた感情論は、この文化と伝統から生まれてくる根強いものであり軽視してはならない。
 これに対して、支那は、人を騙すよりも騙される方が悪いとする伝統をもつ。
 つまり、日本は信頼を社会の原則としており、支那は猜疑を原則とせざるを得ない。
 ここで、支那と日本に顕れた二つの兵法書を対比して、彼我のこの文化伝統の相違を明らかにしておきたい。
兵法書として支那には「孫子」があり日本には「闘戦経」がある。
「孫子」は、支那において易姓革命を成就させるために敵を殺戮する為の兵法で、「兵は詭道(きどう)」と説く。つまり、兵は敵を騙し意表を突き攻撃し絶滅させることだと説く。
 これに対して「闘戦経」は、日本においては、兵は詭道ではなく無秩序から秩序と和をもたらす天地自然と共にある誠心誠意の力であると説く。
 この違いは、日本の万世一系と支那の易姓革命によってもたらされる。
 日本は万世一系の天皇のもとに全ての国民が家族のような国であるから、兵法においても敵を騙さず和を目的とする「闘戦経」を生み出し、支那は反対に異民族が異民族を殺戮して皇帝を変える革命を正統とする国であるから敵を騙し殺戮する詭道の「孫子」を生み出した。


「闘戦経」本文
  
● 一、  我が武道は天地の初めよりある。

● 二、 第一は日本の武道、第二は中国の兵法。

● 三、 骨を強化す。

● 四、 金は金たるを知り、土は土たるを知れ。

● 五、 天は剛毅にして傾かず。

● 六、 胎児はまず骨から成る。

● 七、 造化の神は冷厳である。武もまた断乎たれ。

● 八、 孫子は詫譎「きけつ」(いつわり、あざむく)の書である。

● 九、 兵法の本来は戦いにある。

● 十、 中庸がよく、偏してはならない。
● 十一、目は三つはいらない。

● 十二、死生を論ずる間は死生を悟れず。

● 十三、孫子は懼字「くじ」(敵を恐れる)なり。

● 十四、 四体破れざるに、先ず心を失うは天地の理にあらず。

● 十五、 魚に鰭「ひれ」あり、蟹に足あり。

● 十六、物の根たるもの五(陰陽、五行、天地、人倫、死生)あり。

● 十七、 軍は進止あるのみ。

● 十八、 兵は稜(刀尖、鋭、鋭気)を用う。

● 十九、 未だ謀士の骨を残すを見ず。

● 二十、 軍に足痕(足あと)なきは善なり。
● 二十一、 我、蝮蛇(まむし)の毒を生かさん。

● 二十二、 疑えば、天地みな疑わし。

● 二十三、 「呉子」(呉起の兵書)は可なり。

● 二十四、 武将の敗因は不決断。

● 二十五、 智者は威をおそれ、罰をおそれず。

● 二十六、 蛇に足はないが、百足(ムカデ)に勝つ。


●二十七、取るものは倍して取り、捨てるものは倍して捨てよ。
 
● 二十八、英気(火)のない軍は敗れる。
 
● 二十九、戦いは勝つことが第一である。
 
● 三十、小虫の大敵をたおすは毒あればなり。
● 三十一、人智も鬼智をしのぐことができる。
 
  三十二、戦国の主たらんものは疑(ためらい)をすてよ。
 
● 三十三、ふところ手(隙・スキ)するなかれ。
 
● 三十四、変を知っても常となせ。
 
● 三十五、胎児、胞あり。
 
● 三十六、蔓(つる)は細いが、瓢(ひさご)を支える。
 
● 三十七、まず脚下の蛇を断て。
 
● 三十八、智の用は内照にあり、勇の用は外発にある。
 
● 三十九、陣頭に仁義なく、刃先に常理なし。
 
● 四十、先ず体を得た後、用を得るものは成る。
● 四十一、亀は万年、鴻(おおとり)とならず。
 
● 四十二、龍が大空に騰(あが)るものは勢なり。
 
● 四十三、単兵、急に攻めて勝つには毒尾を打つ。
 
● 四十四、離弦(発矢)の勢い、衆を討つべし。
 
● 四十五、輪の輪たるを知るものには、蜋は腕をのばすべし。
 
● 四十六、虫は飛ぶことを知らず、蝉は蟄を知らず。
 
● 四十七、人、神気を張れば勝つ。
 
● 四十八、水に生くるものは甲鱗を有し、山に生くるものは角牙を有す。
 
● 四十九、まず力、術はその次。
 
● 五十、威をたのまず、勇をたのまず、智をたのまず。
 
● 五十一、斗(北斗七星)は向背し、磁は南を指す。
 
● 五十二、兵の本来は国の禍患を絶つにあり。
 
● 五十三、用兵の極意は虚無(孫子の詭譎)にあらざるなり


【家村和幸】楠木正成にみる兵法の本質 [H25/7/17]

2013/07/18 に公開
 日本兵法研究会会長の家村和幸氏をお迎えし、この程上梓なさった新著書『兵法の天才 楠木正成を読む』を御紹介しながら、戦の天才にして他に追随する者のない戦略家たる大楠公の偉大さや、本質的に異なる孫子兵法が日本に及ぼした影響などについてお聞きするとともに、自衛官にぜひ会得して欲しい3つの徳「智」「仁」「勇」及び、兵法を学ぶ意味についても、かつて陸上自衛隊で戦術教官をつとめておられた御経験も踏まえながらお話しいただきます。

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