2015年5月7日木曜日

核兵器について考える ~人類の未来に核抑止力は必要か?~

我が国においては、毎年8月ともなると必ず昭和20年8月6日、9日の広島及び長崎への原子爆弾の投下、また8月15日の終戦記念日にちなんで「戦争を考える」テレビ番組が放映される。特にNHKなどはその最たる例であるが、その内容をみるに毎年一定のパターンとして制作されているような印象を感じるのは私だけであろうか。

 例えば原爆についての特集として放映される場合、必ず直接原爆に遭遇し被爆体験をすることとなった高齢の被爆者の方の証言を元にして、原爆の凄惨さ、悲惨さ、残虐性、非人道性について淡々と語られる。その根底にある結論は核兵器廃絶への願いである。
 「核兵器は悪魔の兵器である。」という印象はこれら一連の年中行事のように放映されるテレビ番組を拝見させていただいても容易に抱く印象であろう。

 このようなむごたらしい兵器はなんとか廃絶させて世界平和を実現させたい、といういわゆる「反戦平和思想」に結びついていることは明らかである。ことに思想的な要素が未だ固まっていない高校生以下の若い世代には、一つの感情論として核兵器がとらえられているように思えてならない。中には原爆投下そのものが戦争である、という教え方を学校教育でなされることにより、まさに核兵器廃絶が世界の平和的秩序の確立であるという論理を形成するとともに、戦争行為が外交の対極にある手段にすぎないものであり、国家による戦争は政治力の発現としての性格をもつこと、国際間で否定されているのは侵略戦争であり、防衛戦争は国家の自然権として認められているもの、という捉え方を放棄してしまう、タブー視する傾向もあるように感じられるのである。

 教育での核兵器の教え方とあいまって、現代日本人の核兵器の理解のあり方にある種の極端な思想の偏重、偏った見方、理解のされ方があるように思えてならない。
 核兵器は確かに巨大な破壊エネルギーを放出し、強烈な熱線を発して都市インフラや人々を焼き、高レベル放射線により半世紀以上時をへても多くの人々を死に至らしめる悪魔の兵器である。
 できることならこうした物騒なものは廃止して、世界の人類がみな手を取り、輪になって地球市民として踊れるような社会を構築できるのが理想であろう。



 しかし残念ながらこれはあくまで理想にすぎない空論である。物事には必ず「陰」と「陽」があり、一側面からみてすべてが理解できるようにはなっていないのが現実である。核兵器も同様に非人道的な「負」の側面ばかりではなく、陽としての「正」の性質も存在する。冒頭で述べた8月の一連のNHKの原爆報道番組は原爆のもつ負の性質を十分学べる。しかし残念ながら昭和20年の広島長崎以降の核兵器がどう発展し、国際社会の中でどう役割として機能してきたかが、とりあげられていない。
 核兵器はおそらく人類がもつ究極の「抑止力」である。
核兵器が開発され、第二次大戦後の米ソをはじめ大国は競って「抑止」として核装備を進められたことにより、仮想敵である相手国を核攻撃すれば、核による報復をうける、すなわち自国が核攻撃により得られるメリット以上に、報復により大規模な物的人的な損害をこうむる可能性が高まっていった。そして通常兵器による戦闘も決定力となる核攻撃による被害を考えた時、どうしても限定的にならざるを得なくなってきた。
 すなわち「核兵器による均衡状態」が現出された。すなわち「恐怖の均衡」である。そしてこの「恐怖の均衡」こそが、戦後の世界的な「冷戦」という形での「平和秩序」を保ってきた根拠である。つまり言い方を変えれば、第二次大戦後半世紀余り世界的な大戦を核兵器が抑止し、平和秩序の確立に貢献してきた、ともいえるのである。

 「人は弱くはかなく、そのくせ強欲である。」性質は人類を何度も滅ぼすだけの強大なニュークリアパワーを意識させなければ抑制できない、という結論を歴史が教えてくれるのである。どこかの国の政党のように憲法9条がアジアの平和秩序を維持してきた、などという論理は話しにならない思考である。このような弾道ミサイルとセットになった核兵器の陰と陽の性質を日本人はよくよく考えていかなければならない、と思う。
 いわれのない原爆投下により昭和20年に広島、長崎の市民の方々はアメリカによる「大量虐殺」の犠牲になられた訳だが、陽の部分の視点から考えれば、戦後の国際平和の実現のための犠牲ともいえなくもない。原爆で亡くなられた多くの日本人の死は無駄ではないのである。

 「もたず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則は、日本人であれば心情的に誰でも理解できるものである、米原子力空母の寄港を反対する方々の存在もまたしかりである。
 しかし世界人類の平和秩序、我が国の安全保障というものは、血を流さずして労せずして得られるほど安い価値のものではない。また原爆被害のみ声高に訴えているだけでは多くの人々の共感は得られないと思う。

 「核兵器廃絶をめざして」というNHK報道番組のサブタイトルを思い出す。仮に100%核兵器が地上から廃絶されたとしたら、必ず地域紛争が激化し、そこが引き金となり、第三次世界大戦がおこるだろう。
 我々は世界で唯一の核攻撃による被爆者を抱える国の国民として、核兵器の陰と陽の性質を十分理解し、核抑止による国際平和の確立と維持をはかっていかなければならないのである。
 核兵器を完全に廃絶すれば、弱肉強食の国際社会へ歴史の軸を戻す結果となり、世界の平和秩序が崩れるのである。それを防ぐ、すなわちどうしても核兵器を完全に廃絶したいにならば、核兵器を無力化できる兵器の開発、戦略の立案、外交システムの構築などが必要であろう。


 核兵器を抑止できる手段は核兵器だけである、「毒には毒をもって制する。」しか無力化の手段はないのであろうか。

中部大学教授武田邦彦氏・ガリレオ放談第43回

ガリレオ放談第44回



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