2015年11月28日土曜日

日本人のセキュリティ意識

都市のあり方で安全保障観も変わる
鬼怒川堤防決壊 公共事業悪玉論を見直せ

大石久和 (国土技術研究センター国土政策研究所長、日本

プロジェクト産業協議会(JAPIC)国土委員会委員長)
20150918日(Fri)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5384


インフラ認識の欠如の由来としての都市城壁の有無

 前回、日本では「インフラストックの形成手段である公共事業を単に財政上の歳出としか見ていない」ことを指摘した。それは、先進各国首脳の認識とは大きく異なっていることも紹介した。
 ところで、最近の台風17号、18号による集中豪雨によって、茨城県常総市で鬼怒川堤防が決壊し、大きな災害となって人命・財産を奪っていった。ある決壊箇所は堤防強化計画があり、まさに着手の準備をしていたところだったと言われる。
 この20年間で先進国で唯一公共事業費を削減してきた実態はすでに紹介したが、その煽りを受けて河川改修の予算も大きく減少してきた。予算が伸びていれば、この堤防強化事業もずっと前に整備が完了していたはずなのである。公共事業を「財政からの歳出」とだけとらえ、インフラストックとしての効用を理解してこなかったツケだと言っても言いすぎではない。
 この日本人の「認識欠損」はどのように生じたのか考えてみたい。人間が理解すべき領域のなかで、われわれ日本人が獲得できていない領域があるようなのだ。当然のことだが、それは民族の経験がそれをもたらしている。
 数千年にわたる日本列島での歴史のなかで、われわれは一度も「都市全体を囲む城壁」を建設した経験を持たないが、それは世界的に見てもきわめて希有なことなのだ。
 シュメールからギリシャ・ローマを経て今日の世界文明につながる西洋や、古い時代から文明を育んできた中国には、文明のゆりかごとなった都市が生まれたが、それを可能としたのは強固な城壁だったのである。
 多様な才能を持つ人間が多数蝟集するところに文明は生まれる。最も古い文明は、謎に満ちたシュメール人が5500年前にチグリス・ユーフラテスの河口近くに建設した都市国家で生まれた。
 このあたりには、ウルやウルクといった都市の遺跡が残っているが、ここで国家が生まれ、王制という統治制度が発明され、神を生んで宗教を育てて神殿を建設し、そしてやがて文字を持った。まさにここで文明は誕生したのだが、ウルもウルクも城壁で囲まれていたのである。
 なぜ、都市を囲む城壁が必要だったのかといえば、農耕民族だったシュメール人は集積した作物を山岳民族や遊牧民から収奪され、その際に愛するものの大量死を経験させられたからである。
 人々の蝟集の初期の初期には城壁など持たなかったと思われるが、それでは年間の労働の成果と仲間の命の喪失が避けられず、何度もそのことを経験したからこそ多額のカネもかかるし大変な労力も動員しなければならなかった「都市全体を大きくて強い壁」で囲むことを余儀なくされたのだ。
 今日の気象考古学によると、シュメール人の時代にはこの地方はすでに乾燥化が始まっていたらしいのである。
 Cityという言葉はラテン語のキビタス(Civitas)を語源としているが、その意味は「壁の内側の人が密集している場所」という意味だから、都市の概念のなかに壁が含まれているのである。
 中国の事情もよく似ており、都市という都市が城壁で囲まれていた。長安は平城京などのモデルとなった巨大都市だが、東西9.9キロ・南北8.4キロ、総延長37㎞の四角形の強大な城壁で囲まれていた。現在の西安(昔の長安)にも大きな城壁があるが、それよりも巨大なものだったといわれている。
 国という言葉は今では国家を指す言葉だが、もともとは「都」を意味する言葉であり、國という文字だった。「囗」は今では国囲い(国がまえ)と言うが、囗が表わしているのは実は都市城壁であり、そのなかで戈を持って敵と対峙している様子を示す文字であった。
 邑という文字も、白川静氏の説明では都市城壁を表わした囗の形の下で跪いている人を示すものだという。これは筆者の解釈だが、城壁があったおかげで命を保つことができた幸運を喜んでいる様子を示しているのではないかと考えている。
 この都市城壁は今日でいうインフラストラクチャーそのものであり、文字通り「社会を下から支える基礎構造」なのだが、われわれはこれを必要とする経験をまったくしていないから、「社会には欠かせないインフラがあるのだ」との理解が十分ではないのだ。
 シュメール人の5500年前から、パリが最終城壁であるティエールの城壁を取り外しはじめた1919年まで、「都市城壁なしには都市は存在し得ない。都市には都市城壁というインフラが不可欠である」との認識をフランス人やヨーロッパ人は共有してきたのである。
 これが今日のインフラ認識につながっている。社会には人々の暮らしを成り立たせるための共通資産として下部から支える構造があり、「かつて城壁が人の命と暮らしを支えたように、今日では、道路などの交通インフラやダムや堤防といった安全インフラが社会には不可欠なのだ」と考えているのである。
 だからこそ、前回紹介したように各国首脳はインフラの重要性についての認識を語り、国民の支持を得ることができているのである。

大量殺戮の有無
 なぜ莫大な費用を要する都市城壁を彼らは築いて来たのかといえば、繰り返しになるが、それがなければ厖大な命を失うことが確実だったからである。では、彼らはどのような戦い方をしたのだろうか。
 日本人で戦争死の数を研究している人は発見できなかったが、長年ウェブサイトで持論を展開していたマシュー・ホワイト氏は、最近「殺戮の世界史・・人類が犯した100の大罪」(早川書房)を著わし、100の紛争についての殺戮数の研究を整理した。
 これによると世界は大量殺戮に満ちあふれていることがわかる。ランダムにいくつか紹介すると、チンギス・ハンによる戦いで4000万人、明の滅亡時に2500万人、清朝末期の太平天国の乱で2000万人、白人による北アメリカ支配のために1500万人、ロシア革命の内戦で900万人、ナポレオン戦争で400万人、百年戦争で350万人、十字軍で300万人、フランスの宗教戦争で300万人、朝鮮戦争で300万人などという状況である。
 第二次世界大戦での日本人の死者数は、空襲による民間人の死者を含めて300万人超というものであったから、世界での殺戮の凄まじさがわかろうというものである(第二次大戦全体では、ホワイト氏は6600万人としている)。
 中国での殺戮の凄まじさは大変なものがあり、これはホワイト氏の研究からではないが、明の滅亡時には張献忠なる殺人鬼が現われ、兵士75万人、家族32万人をまるで草刈りをするように「草殺」したとの記録もある。また、揚州で都市内の住民全体が虐殺されたときには、火葬に付した死体は80万人にもおよんだという。
 かなり前になるが、三国志の赤壁の戦いを描いた「レッドクリフ」という映画があった。そこでは日本の合戦では見られない「倒れた兵士にとどめを刺す」場面があったことが印象に残っている。とどめを刺さしておかなければ戦闘に勝利しても長くは安心できないというのが、彼らの戦いだったのである。
 このような戦闘を経験したのでは、妻や子供と老人とが暮らしていかなければならない都市を守るためには、絶対にというほど打ち破られない城壁が必要だったと理解できる。
 われわれ日本人だけが世界の先進国の多くの民族のなかで、この経験がすっぽりと抜けているのである。日本人の思考の合理性の欠如、あらゆる局面での情緒性の優先と言ったわれわれの考え方や感じ方をこれらの経験が規定し、西洋や中国の人々との間に大きな懸隔を生んでいるのである。
 先に紹介したインフラ認識の欠如はこの反映であり、欧米が今なお力を入れている交通インフラ整備を実に安易なレッテル貼りで「従来型」などといったり、無駄の定義も示さずして「無駄な事業」というのもその現れだ。従来から必要なものは今でも充実が必要で、それは「基幹型」とか「基礎型」とでも呼ぶべきものなのだ。

安全保障観
 この経験の違いが安全保障観にも影響を与えていることは当然のことである。われわれに安全保障の観念が欠けているのは、「非武装中立」などという夢物語を比較的最近まである政党が声高に叫んでいたことでも明らかだ。
 永世中立を掲げるスイスが、いざというときには敢然と武力で戦う仕組みと仕掛けを用意しており、第二次世界大戦時でも上空侵犯の航空機を何機も撃墜したほどの覚悟を示したことを学習していたのだろうか。中立を保つことなど強力な武力が装備されなければなし得るものではないのである。
 非武装中立などと言うのは、要するに国防という一番しんどいことはやりたくないと言っていただけだったのではないか。キッシンジャーはマイケル・シャラーアリゾナ大学教授に日本人の安全保障観について、次のような辛辣な批判を語っている。
 「日本人は論理的でなく、長期的な視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない」
 これはかなり前の発言だったのだが、最近では彼にこのようなことをいわれないほどに、事実をもって根拠と論理性のある議論ができるようになっているだろうか。それとも相変わらず希望的な「はずだ」議論に終始しているのだろうか。
 図は、家屋を出入りする最も肝心なドアが、日本と海外では異なることを示したものである。わが国のドアはほとんど「外開き」である。おかげで玄関は広く使えて、傘立ても置けるし靴も散乱させることができる。

 しかし、このドアのセキュリティはどこで保たれているかというと、それはドアノブ一点だけなのだ。小さな金属がドアの受け柱に貫通しているが、それのみが外敵の侵入を阻止しているのである。
 ところが、海外ではヨーロッパ・アメリカ・中国でも、外部との接点であるドアはほとんどすべて「内開き」なのである。外国に旅行したりしたときに注意して観察してほしいし、海外ドラマや探訪のドキュメンタリーをよく眺めていただきたい。彼らの国では安全に関わる肝心なドアほど内開きであることに気付くに違いない。
 このドアであれば、暴漢が侵入しようとしても家族総出でドア裏に家具などを置くことで侵入を防ぐことができる。これはアメリカ映画ではおきまりの構図だといえるほどよくある場面である。
 ところが日本のドアでは、いくら家具を積み上げても何の役にも立たない。ドアノブを破った暴漢は簡単に侵入してくることだろう。それは何十年に一度起こることなのか、ほとんど一生経験しないことなのかも知れないけれども、日本人以外はセキュリティの高いドアを受け入れて、ドア裏を使えない不便な日常生活を送っている。
 これほどにわが日本が、日常生活利便優先でセキュリティが後回しの(というよりセキュリティ概念がない)国柄だということは、この比較でよく知っておかなければならないことなのだ。そういうわれわれなのだと十分に認識したうえで安全保障議論に臨まなければならないのである。

 ここで示したインフラ観や安全保障観の欠如や欠陥は、民族の経験に由来しているから、そのことへの深い理解が必要だ。最近紙版のウェッジでも紹介していただいたが、筆者の産経新聞出版の書籍『国土が日本人の謎を解く』に、この国土に暮らしてきたことに由来する日本人の強みや弱みについての考察を記した。ご一読いただければ幸いである。
  

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