2016年3月9日水曜日

孫子に学ぶ情報戦略の要諦

 いわゆるスパイ活動とは、「インテリジェンス」のことである。およそ人類が社会を作り、営むことにより始まったものである。
 社会的動物である人間が、利権をめぐる勢力争いをするとなると対抗するグループの動向を知っている側が圧倒的に有利になる。
 戦争の帰趨が、情報やインテリジェンスに左右されることは、孫子の時代から明らかであった。

 人類が文明をおこすことによってインテリジェンスの巧拙が、集団(コミュニティ)の盛衰に決定的な役割をはたすようになる。インテリジェンスは古代から体系化されていた普遍的な活動といえる。
 国力を疲弊させてしまう戦争をまずおこさないようにする。戦争になってしまった時は有利に早く戦いを終結させるために情報を重視しなければならない。

戦わずして相手より有利な位置づけをとること。開戦したとしても戦争による損害をミニマムに抑えて、できるだけ早期に有利な形で終結させるための情報戦略については、古代中国大陸の兵法書である『孫子』にその要諦をみることができる。

『孫子』第十三 用間篇
(出典:『孫子』町田三郎訳 中央公論社 1974910日)

 孫武は、『孫子』中にて「間」とは「間者」、「間諜」(スパイ)のことであるという。その必要性について、またその形態、機能について述べ、5種類に分類している。篇名を「間」とするものもある。
 今でいうところのヒューミント(人による情報戦略)のあり方を述べている。ヒューミントによるインテリジェンスが最古の情報戦略であり、インテリジェンスの基本という見方もできる。孫子はスパイ活動に関して卓越した分析を行った最初の人である。

    聡明な君主や賢明な将軍が、軍を動かして敵に勝ち、抜群の戦功をたてる理由については、あらかじめ敵の内情を探知していることによる。あらかじめ探知するということは、必ず人の動きに頼ってはじめて敵情は探知できるのである。

    間諜の活用法は5通りある。

5種の間諜を併用して、敵にはそのしくみが知られないということを神秘的な規律といって優れた使い方なのである。これは君主の宝とすべきことである。

郷間(ごうかん)
 
敵国の一般人で協力者となった者。工作地域の住民を雇ってセーフハウスつまり隠れ家の確保など水先案内人として用いる。
敵国の村里の人々を使って働かせるもの。(人を寝返らせて使う。)いわゆる「場所的情報提供者」のことである。

内間(ないかん)

 敵国の重要人物で協力者となった者。金銭やハニートラップで工作地域の政府高官などを協力者に仕立てる。機密情報にアクセスできる立場の人間をたらしこめれば効果は絶大なものがある。

敵国の官職についている人物を味方にひきいれて内通させるもの。(賄賂で篭絡する。)郷間と同じく「場所的情報提供者」のことである。

反間(はんかん)交間(こうかん)

 敵の間諜をてなづけて逆用するもの。(二重スパイ)

いったん捕えられた敵方のスパイが寝返って、今度は敵方を探索するもの。
敵国のスパイを寝返らせた者。いわゆるダブルスパイのこと。第二次大戦下の我が国で暗躍したリヒャルト・ゾルゲ氏がその典型例である。ゾルゲ氏はドイツのスパイであったが、実はソ連コミンテルンのひも付きであった。

死間(しかん)
 
わざと偽りの工作をほどこして、それを味方の間諜に教え、敵側に通告させるもの。(にせ情報を流して味方のスパイにも信じさせて敵をあざむく。)
敵を欺瞞するために誤った情報を敵に提供する目的で派遣されるもの。
敵国に侵入し故意に捕まり死刑になる寸前に偽情報を流し、攪乱工作を行う者。生還の見込みのない最悪の役どころだけにすべてを明らかにせず、偽情報を本物だと信じ込ませ送り込むことがほとんどである。あとは敵側の諜報機関に垂れ込み、死間のエージェントを捕捉させればいい。

生間(せいかん)
 
その都度帰ってきて報告するもの。(潜入して情報をつかんで帰ってくる。)
今日の斥候と同じものである。
生還して情報を自国に持ち帰らせる使命を与え敵側に放つ者。諜報活動はチームを組んで行うことが多い。敵側の防諜網に引っ掛かり仲間が減っていった場合、最終的に入手した情報を母国に持ち帰る人間が必要になる。


    どんな局面にも間諜は用いられるのである。

全軍中では、間諜が将軍に最も親密であり、褒賞も間諜が最も多く、間諜の任務が最も機密を要する。並外れた知恵者でなければ間諜を利用できない。人情も義理もわきまえた者でなければ間諜を使いこなせない。行き届いた心配りのできる人でなければ間諜の報告から真実をひきだすことはできない。
 間諜のもたらした情報が誰にも知らされていないのに、外から耳に入ることがあれば、その間諜と外からしらせてきた者とを死罪にするのである。

    撃とうと思う軍、攻めようと思う城、殺したい人物については、必ず守備の将軍、側近、侍従、門衛、宿衛の役人の姓名をまず知って、味方の間諜にこれらの人物について詳しく探索させる。

    逆間諜の活用

敵の間諜が探っている者があれば、つけいってこの者に利をくらわせ、うまく誘ってひきとめこちらにつかせる。
 寝返った敵の間諜によって敵情がわかる。この情報に基づいて郷間や内間を使うことができる。死間を使ってにせの情報を作り、敵に告げさせることもできる。生間を計画通りに働かせることができる。
 これら5種の間諜がもたらす情報を君主は必ず聞く。
敵情を探る裏には、逆間諜の活躍があり、ぜひとも厚遇しなければならないのである。

    間諜こそ戦争の要となるものであり、全軍が行動の頼りとするものである。

  「孫子」についての動画については、ネット上でも多々みられるが、残念ながら用間篇、すなわち情報戦略についての動画はほとんどみない。
以下に孫子に関する動画もあげさせていただくが、こうした古典的な名著から情報や軍事に関するリテラシー向上にご活用いただければ幸いである。
 情報戦略、情報戦は戦いの基本であるといっても過言ではないだろう。うまくすれば「戦わずして相手をひかせる戦略となる可能性をはらんでいるからである。

スパイに学ぶ人間学 福山隆

孫子の兵法にみる中国の膨張主義



いわゆる「政略結婚」の意味

ドラマなどでよくみられる戦国時代などに大名の娘を他家へ嫁がせる方法も「ヒューミント」による情報戦略といえる。いわゆる「政略結婚」での女性の役割は大きく二つあると考えられる。
一つは、嫁いだ家の「内情」を把握するため。家中の人的なつながり、他の同盟関係、他家の間諜の存在など逐一書状でしらせたりする。
もう一つの役割は、その家の「嫡男」を生むこと。特に武家では、跡取りとなる男子を生むことにより、家全体に外戚として影響力を及ぼすことができる。我が国が「母系社会」たる所以でもあるが、母方の家系は重要であり、兄弟の序列も母親の実家の格式により決まるものである。
リベラル論者のよくいわれるように、我が国の歴史上の武家などの女性は、意にそわない結婚を強いられていたわけではなく、自分の生まれた「家」という単位を守るために女性としての役割、女性しかできない役割をはたしていたということができる。 

ヒューミント(HUMINT)とは?
~現代ヒューミントの定義~
20149 5 http://securityblog.jp/words/humint.html

ヒューミント(HUMINT)とは、人を介した情報収集、分析の専門領域のこと。もともとは軍事用語で、典型的なヒューミントとは、スパイを通じた諜報活動や捕虜等への尋問などであるが、国家間の紛争における諜報活動だけでなく、マスコミの取材活動、興信所の調査活動なども広義のヒューミントに含まれる。
なお、HUMINTは「human intelligence」の頭文字をとったもの。
情報セキュリティの領域では、企業の関係者を装って機密情報を聞き出そうとしたり、清掃員を装ってオフィスのゴミから情報を盗み出そうとする行為(スカビンジング)、あるいはネットワークの管理者や利用者などから、話術を駆使して盗み聞いたり、ショルダーハックを用いて情報を盗み見たりする「ソーシャルエンジニアリング」の手口がヒューミントに分類されることがある。
なお、政府や組織の公式発表(プレスリリース)、マスメディアによる報道、インターネット、書籍や雑誌、電話帳などのように、一般に公開され利用可能な公開情報を情報源に、機密情報を収集する専門領域のことをオシント(OSINT)と呼ぶ。



決して目立ってはいけない、生々しく描かれるスパイの姿『最高機密エージェント』

中村宏之 
(読売新聞東京本社調査研究本部 主任研究員)

ノンフィクションの力というものを強く感じさせられた本である。スパイというと映画「007」に代表される派手なアクションものを想像してしまうが、本書に出てくるスパイ像はそうしたものとは全く無縁の、言わば対極にある存在である。いかに隠密裏に機密情報を交換するかが勝負であり、決して目立ってはいけない存在なのである。
電話の盗聴、手紙の開封、タイプライターに仕掛けまで…


 自分の認識不足を恥じ入るばかりだが、本書を読むと、冷戦時代のアメリカと旧ソ連がいかに激しく対立していたのかということが、あらためてよく理解できる。冷静な筆致だが、内容は実にスリリングである。そうした意味で映画のような光景が目に浮かぶが、これは映画ではなく、実際に起きたことである。ワシントンポストの編集幹部で、ピューリッツアー賞も受賞した敏腕記者が、機密解除された公電など一級の情報を組み合わせて構成した。それだけに描かれるスパイの姿は実に生々しい。
 読み進めるにつれ、当時のアメリカにとって「使える」スパイを確保することがいかに重要なミッションであったことかがわかる。核、レーダー技術、航空装備、兵器開発計画など、アメリカがソ連から入手したい機密情報は山ほどあり、それをどう手に入れるかに躍起になっていた。ソ連からみればそうした情報をどう守るか。激しい攻防が、モスクワのKGB(国家保安委員会)周辺のごく狭いエリアで展開される。
 利用価値の高いスパイをなかなか得られない時期のアメリカの焦り。なんとかそれを得た後に、どう「育成」し欲しい情報を確実に手に入れるか。一連の活動を相手に悟られず、いかに秘密裏に進めるか。綱渡りのように緊迫する場面がいくつも出てくる。
 CIAの職員がスパイに接触するにあたり、KGBの監視をどう「まく」か。それがいかに大変なことなのかもよくわかる。当時のモスクワでは、アメリカに関するあらゆることがKGBの監視下に置かれている中で、電話の盗聴や手紙の開封はおろか、タイプライターに特殊な仕掛けをして、内容を盗み取ることにいたるまで「何でもあり」の世界である。KGBの監視を逃れる手法の一端が詳しく紹介され、「監視探知作業」という言葉があることも本書で初めて知った。それらは実に根気のいる、手のかかる作業である。


時間と距離の感覚を身につけ、隙間を通り抜ける目を養う〉
〈どこで曲がるか、どこで停止するか。身振り手振り、外見、錯覚など、ごく些細なことにも気を配った〉
KGBは怪しいと見ると獲物を狩り出すために車も人員もどんどん追加投入してくる〉
 こうした環境下での活動である。特殊な訓練を受けないととても対応できないことがわかる。
いきなり接触「役立つ情報がある」
 さらに驚くのは、スパイ自らがアメリカ側に接触を図ってくる場面の描写である。ガソリンスタンドで、あるいは街角で、いきなり「役立つ情報がある」と接触してくる。接触された方は「ワナではないか」と最初は警戒するのが当然だ。しかし、そうした中に驚くほど良質な情報を持った「本物」がいるのも確かである。次第に彼らの「価値」に気づいて、取り込んでゆく経過も詳細に描かれる。スパイの多くに、ソ連という国への義憤や私怨、絶望などの動機があるのも興味深い。
 情報収集機器の開発や進歩が、諜報活動に大きな影響を与えていることも示される。機密資料を撮影するための小型のペンダント型のカメラや、緊急時にスパイが自殺するための毒入りカプセルなど、あらゆる武器が登場する。ただ、そうしたものをスパイに支給することをアメリカ本国のCIAがなかなか決断できない様子も繰り返し描かれ、諜報活動の困難さを象徴している。事がうまく運べばよいが、失敗してスパイが相手側の手に落ちた場合のリスクも非常に高いからである。しかし、リスクを取らないと、望むような最高機密が得られないのもまた事実である。


 当時も今も、時代によって形を変えて、諜報活動は続いているはずだ。おそらく永遠になくならない活動であろう。ただそれを担っているのは感情を持った生身の人間である。本書でもスパイ本人はもちろんスパイと接触するCIAスタッフなど様々な人物が登場し、それぞれの場面で一人の人間としての感情が吐露される。秘密情報戦の中で人がどんな心理状態におかれ、何を考えるのか。そうした面からも興味深い力作である。


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